吉野ヶ里遺跡
紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、
日本で稲作の文化が始まり、
定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる時代です。
弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、
佐賀県神埼郡の旧神埼町・旧三田川町・旧東脊振村の
3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡で、
弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、
弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、
日本の古代の歴史を解き明かす上で
極めて貴重な資料や情報が集まっています。
これらは日本の様子を記した最古の記録である魏志倭人伝に出てくる
「邪馬台国」の時代を彷彿とさせるもので
国の特別史跡にも指定されています。



※ 久しぶりにリフレッシュできました!
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環壕入口 |
当時の東の正門と考えられている場所。
外壕を埋め立てて土橋を造り、
その内側には大きな門を備えていたようです。
敵の侵入を防ぐための特別な仕掛け(逆茂木)

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南内郭(物見櫓) |
南内郭には4棟の大きな高床建物があります。
これらは環壕の張り出した部分に
対応するように建てられており、
兵士が南内郭への侵入者を
厳重に見張っていたと考えられています。
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南内郭(王の住まい) |
南内郭の北西部には柵などによって
囲まれた特別な空間があります。
ここにある竪穴住居は王の家をはじめ、
その娘夫婦の家や妻の家
であったと考えられています。
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北内郭(鍵型に折れ曲がった入口) |
真っ直ぐ入ってこられないように
鍵形に折れ曲がった構造。
こうした造りは古代中国の
城郭都市に多く見られます。
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北内郭(主祭殿) |
吉野ヶ里のクニ全体の
重要な事柄を決める会議を行ったり、
祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、
中心的な建物と考えられています。

主祭殿2階 主祭殿3階 |

北墳丘墓(歴代の王の墓) |
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている
特別なお墓と考えられています。
このお墓は弥生時代の中頃、
紀元前1世紀のものです。
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北墳丘墓(14基の甕棺) |
甕棺とは北部九州に特有の棺のこと。
大型の素焼きの土器に亡くなった人の
手足を折り曲げて入れ、
土の中に埋める埋葬方法です。
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